豊楽園のはじまり

定年後の夢。

1985年、当時61歳の代表世話人を中心に「アラカン」世代の
5人の仲間が集まりました。


「みんなで何か面白いことをやろう」という話になり、いろいろな案が出たのですが、「この辺で果樹園は珍しいし、変わっていていい」ということになりましてね。みんなで共同出費して、『豊楽園』を始めたのです。



(新聞掲載のインタビュー記事より)

わしらで果樹園作ろうやないか!

1986年、みんなで同じ夢を見て、毎日張り切って仕事をしようと動き出します。

米作の減反政策でこのままだと荒地になってしまうかもしれない田んぼを利用し、果樹園を作りました。


(インタビュー記事より)

「長野県などあちこちリンゴの産地へ行って勉強しました。何とかいけそうだと、自分の土地と借地の約100アールにリンゴとナシの木を植えました。当時は、周りから変わり者扱いされていましたね。」

「最初は無農薬で取り組んでいたんですが、何度も失敗しました。甘くておいしいと評判の有機肥料、低農薬リンゴが収穫できるようになったのは、4年目からです。」



仕事に誇り。作業に楽しみ。

定年後の仲間が集まり、儲けは気にせず、趣味程度にやっているだけなのでは?
と思われるかもしれません。


豊楽園の脇には、その時期収穫のB級品が山のように積まれていました。
それはカラスがつついた跡があるものや、一部分が熟れすぎているもの。売り物と大して味は変わりません。

「これを分けてくれんか。」「売ってくれんか。」と言う人もいましたが、
それはお断りしています。
仕事人としてのプライドで、自信があるもの、ちゃんとした商品しか外に出したくないという思いがあったからです。



まごころを込めて育てた果物を口にしたお客様の「おいしい!」という言葉に、喜びと生きがいを感じて…。



さまざまな助っ人あらわる。

こうした動きに賛同して、あるいは大自然に惹かれて年齢いろいろな人たちがボランティアで全国各地から駆けつけてくれました。

繁忙期には毎年山小屋に泊まり込んで、木々の手入れをしてくれる人。大忙しの秋に収穫や剪定を手伝ってくれる人。園内の電気配線や防蛾灯を取り付けてくれた電気工事屋さん、などなど。

たくさんの人たちに支えられて豊楽園の今はあります。



その想いは後継者へ。

やがて、そんなメンバーも豊楽園を引退する日を迎えます。

今は完全に世代交代し、創設メンバーの息子たちが豊楽園を切り盛りしています。
月日は流れ、息子たちが定年を迎える歳になったのです。


果実の生産は皆様が想像される以上に多くの手間がかかります。

気が遠くなるような作業の合間にも、父親譲りの笑顔。
大自然に心の豊かさをもらい、果物作りを楽しんでいます。
もっとおいしい果物を、今まで以上に安心・安全に配慮しながら、もっとお客様の
「おいしい!」の声を聞けるように、現メンバー一丸となって頑張っています!